寝屋川の人口は高度経済成長期に急増しましたが、大阪市内から微妙に距離が異なる枚方や門真と人口の増加の仕方や時期は異なるのでしょうか?
そんな疑問を持ったので、人口統計の推移をグラフにまとめ、比較してみました~。
まずは寝屋川の人口統計の推移を見てみます。寝屋川市は1960年ごろから約15年間人口が急増しています。
水本村とは、おおよそ現在の四中校区にあたる部分で、1961年に寝屋川市と合併(水本村の編入)して現在の寝屋川市の姿となりました。
水本村の部分を除く寝屋川町は1943年に九個荘町(池田、大利、仁和寺、神田など)、友呂岐村(香里園周辺)、豊野村(高宮、太秦など)、寝屋川村(木田、萱島流作新田など)が合併して誕生し、1951年に市制施行して寝屋川市となっています。
このグラフを見る限り、1950年代後半ぐらいに先に道路整備をオラオラッ!と進めていれば、寝屋川の道路事情はもうちょっとマシになっていたのかもしれませんね~。
続いて枚方市の人口統計推移を見てみましょう。枚方市の人口統計推移は以下のようになっています。
それぞれがバラバラのグラフでは分かりづらいので、各市の人口統計の推移を重ねてグラフにしてみました。
交野市の人口をグラフに入れたかったのですが、5年おきのデータしか公開されていなっかたので、枚方市の北隣の京都府八幡市をデータとして採用しました。
戦後すぐの頃はどの市も人口が5万人以下となっていますが、八幡市を除いて1960年頃から急激に人口が増加しています。枚方市の人口が5万人以下とはちょっと信じられませんが、人口の増加率は寝屋川市が一番高いような気がします。
しかし、人口の急増が頭打ちになる時期がそれぞれ異なり、最も大阪市内に近い門真市は1970年頃、寝屋川市は1975年頃、枚方市においては1985年頃となっています。
最も大阪市内から遠い八幡市に関しては、1970年代に入ってから人口の急増期を迎えていますね。
大阪市内から近い市の順に宅地化が早く進行するが、市の面積が狭いとすぐに開発しつくしてしまうのかもしれません。
驚いたことがあります。な、なんと、1967、68年の2年間は寝屋川市の人口が枚方市の人口を上回っています!!いや~、あの枚方市に寝屋川市の人口が勝っていた年があるなんてびっくりです!
昔は両市ともに田舎で人口が少なく、似たようなものだったということなんでしょうね~。
面白い結果が出たのかどうかは分かりませんが、いろいろ統計データをいじってみたコーナーでした~~。